ネコのあまやどり
寂しがり屋なネコのあまやどり小屋。
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少し、過去の話をしようと思います。
上手くまとめられるかわかりませんが;
私が京都で何もできなくなったあの時のことを・・・・・・
2008年の春から地元を離れ、京都の大学に通っていました。
正直、楽しくないことも多かったですが、仲の良い友達もいましたし、何より好きで学びたいことがあったので、なんとかかんとか通っていました。
・・・・・・まぁ、その時点で結構な無理をしていたのかもしれません。
2009年1月、私は大学の期末テストのレポートや勉強に追われていました。
今思えば、あんなに頑張らなくても良かったのかな、とは思いますが。
その頃から、少し胃もたれみたいなのが続くような感覚はありましたが、全く気にしていませんでした。
そんな中で迎えた期末テスト2日目・・・・・・だったと思います。
というのも、この辺りから、正直よく覚えていないんです。
大学から歩いて5分のアパートから、大学へ向かおうと外に出た瞬間でした。
・・・・・・突然、猛烈な吐き気と動悸が私を襲いました。
それはもう、立ってられないほどで、一度アパートに駆け戻ったのを覚えています。
でも、その時はそれっきりで、テストも受けれたし、晩ご飯も食べれました。
翌日、全く同じことが起こりました。
この日は、全く吐き気が止まりませんでした。
たぶん、5分に1回は吐いていたと思います。
動悸は止まらず、吐いても、吐いてるそばから、すぐに吐き気が来る始末。
さすがに怖くなった私は、なんとかテストだけは受けて、すぐに最寄りの病院へ行きました。
その時の診察結果は、「ストレス性慢性胃炎」。
吐き気止めと胃薬、そしてこの時初めて精神安定剤を処方されました。
ただ、薬を飲むからといって、すぐに良くなるはずがなく、2月の初めに実家に帰省するまでは、吐き気と闘う地獄の日々を送りました。
そして同時に、あの吐き気の苦しみが、鮮明に私の頭の中に、おそらくトラウマとして記憶されたんです。
2009年4月、2カ月実家で療養した私は、吐き気もおさまり、新学期を迎えた大学に戻りました。
あの時は、テストやらなんやらで、ストレスが溜まっただけだろうと思っていました。
でも、・・・・・・どうやら違うようでした。
今度は、通常の講義でも動悸や吐き気が出るようになり、ただ外を歩くだけでもわけのわからない圧迫感が、体を締め付けているような感覚でした。
そして、ついにはご飯もあまり、というか全くといっていいほど、食べれなくなったんです。
また、数か月前の吐き気の苦しみも呼び起こされ、食べたくもなくなっていきました。
限界でした。
何もできない。
何もしたくない。
もうここにはいたくない。
もうここにはいれない。
でも、今帰ったら、お金だって無駄になるし、たぶんもう大学には戻れない。
それに、親に迷惑ばかりかけてしまう。
もういやだ、こんな苦しいなら、死んだ方がましだ。
本気でそう思っていました。
その気持ちだけは、はっきりと覚えているんです。
今思うと、本当にパニック状態だったなぁ、と恐ろしくなります。
幸い私にそんな度胸もなく、母に連絡することになりました。
母は、「すぐに帰ってきなさい。」と言ってくれました。
後で聞いた話ですが、この時真っ先に帰った方がいいと言ってくれたのが妹だったらしいです。
「お兄は頑張って頑張って、本当にもう頑張れなくなったから、こうやって苦しんでるんだよ!」って。
2009年のGWの前の週、私は京都から実家へ帰りました。
それから半年後くらいに初めて心療内科を受診し、そのさらに半年後に「社会不安障害」という診断をうけることになり、大学を辞め、現在に至ります。
なぜ今こんな話をしたかというと、なんとなく自分の中で、あの時私はどういう状態だったのか、思いだしてみたくなったからです。
「何もできない」
この思いは、今も心のどこかに確かにあります。
そして、私に何かあるたびに、ひょっこり顔を出すんです。
だからって、この思いを消し去ることはできそうにありません。
それだけ、京都での出来事が強烈だったからだとも思います。
でも、この2年間、本当にいろんなことを経験できたし、いろんな方と出会うこともできました。
今年の2月、一人で京都にも行ってみました。
なにより、このブログを通して、苦しんでいる人たちがいっぱいいることを知りました。
今も私は吐き気も動悸も止まらなくなる時があります。
でも、今は私が独りじゃないことを知っています。
家族がいます。
友達がいます。
私なんかを心配してくれる、たくさんの方がいます。
だから、ゆっくり進んでいきます。
たまに休みながら、自分のペースで生きていきます。
もう、大丈夫だね?
もう、大丈夫だよ。
ありがとう。
上手くまとめられるかわかりませんが;
私が京都で何もできなくなったあの時のことを・・・・・・
2008年の春から地元を離れ、京都の大学に通っていました。
正直、楽しくないことも多かったですが、仲の良い友達もいましたし、何より好きで学びたいことがあったので、なんとかかんとか通っていました。
・・・・・・まぁ、その時点で結構な無理をしていたのかもしれません。
2009年1月、私は大学の期末テストのレポートや勉強に追われていました。
今思えば、あんなに頑張らなくても良かったのかな、とは思いますが。
その頃から、少し胃もたれみたいなのが続くような感覚はありましたが、全く気にしていませんでした。
そんな中で迎えた期末テスト2日目・・・・・・だったと思います。
というのも、この辺りから、正直よく覚えていないんです。
大学から歩いて5分のアパートから、大学へ向かおうと外に出た瞬間でした。
・・・・・・突然、猛烈な吐き気と動悸が私を襲いました。
それはもう、立ってられないほどで、一度アパートに駆け戻ったのを覚えています。
でも、その時はそれっきりで、テストも受けれたし、晩ご飯も食べれました。
翌日、全く同じことが起こりました。
この日は、全く吐き気が止まりませんでした。
たぶん、5分に1回は吐いていたと思います。
動悸は止まらず、吐いても、吐いてるそばから、すぐに吐き気が来る始末。
さすがに怖くなった私は、なんとかテストだけは受けて、すぐに最寄りの病院へ行きました。
その時の診察結果は、「ストレス性慢性胃炎」。
吐き気止めと胃薬、そしてこの時初めて精神安定剤を処方されました。
ただ、薬を飲むからといって、すぐに良くなるはずがなく、2月の初めに実家に帰省するまでは、吐き気と闘う地獄の日々を送りました。
そして同時に、あの吐き気の苦しみが、鮮明に私の頭の中に、おそらくトラウマとして記憶されたんです。
2009年4月、2カ月実家で療養した私は、吐き気もおさまり、新学期を迎えた大学に戻りました。
あの時は、テストやらなんやらで、ストレスが溜まっただけだろうと思っていました。
でも、・・・・・・どうやら違うようでした。
今度は、通常の講義でも動悸や吐き気が出るようになり、ただ外を歩くだけでもわけのわからない圧迫感が、体を締め付けているような感覚でした。
そして、ついにはご飯もあまり、というか全くといっていいほど、食べれなくなったんです。
また、数か月前の吐き気の苦しみも呼び起こされ、食べたくもなくなっていきました。
限界でした。
何もできない。
何もしたくない。
もうここにはいたくない。
もうここにはいれない。
でも、今帰ったら、お金だって無駄になるし、たぶんもう大学には戻れない。
それに、親に迷惑ばかりかけてしまう。
もういやだ、こんな苦しいなら、死んだ方がましだ。
本気でそう思っていました。
その気持ちだけは、はっきりと覚えているんです。
今思うと、本当にパニック状態だったなぁ、と恐ろしくなります。
幸い私にそんな度胸もなく、母に連絡することになりました。
母は、「すぐに帰ってきなさい。」と言ってくれました。
後で聞いた話ですが、この時真っ先に帰った方がいいと言ってくれたのが妹だったらしいです。
「お兄は頑張って頑張って、本当にもう頑張れなくなったから、こうやって苦しんでるんだよ!」って。
2009年のGWの前の週、私は京都から実家へ帰りました。
それから半年後くらいに初めて心療内科を受診し、そのさらに半年後に「社会不安障害」という診断をうけることになり、大学を辞め、現在に至ります。
なぜ今こんな話をしたかというと、なんとなく自分の中で、あの時私はどういう状態だったのか、思いだしてみたくなったからです。
「何もできない」
この思いは、今も心のどこかに確かにあります。
そして、私に何かあるたびに、ひょっこり顔を出すんです。
だからって、この思いを消し去ることはできそうにありません。
それだけ、京都での出来事が強烈だったからだとも思います。
でも、この2年間、本当にいろんなことを経験できたし、いろんな方と出会うこともできました。
今年の2月、一人で京都にも行ってみました。
なにより、このブログを通して、苦しんでいる人たちがいっぱいいることを知りました。
今も私は吐き気も動悸も止まらなくなる時があります。
でも、今は私が独りじゃないことを知っています。
家族がいます。
友達がいます。
私なんかを心配してくれる、たくさんの方がいます。
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もう、大丈夫だね?
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ありがとう。
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プロフィール
HN:
ギター坊主
年齢:
35
性別:
男性
誕生日:
1989/12/06
職業:
空手指導員・家業見習い
趣味:
運動・ゲーム
自己紹介:
社会不安障害(SAD)及び
パニック障害な管理人。
北海道在住。
マンガとアニメと音楽好き。
スポーツ大好き。
(見るのもやるのも)
今は空手の指導員。
相互リンクは大歓迎です!
その際、一声おかけください。
何か御用の方はこちらまで。
guitar_saikou1206☆yahoo.co.jp
(☆を@に変えてください)
※件名が日本語じゃないものや、不審なものは読まずに削除いたしますので、お気をつけください。
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無題
足の方、少しは痛みはましになりました?
読んでいて、次男が初めて吐き出した時と重なり
胸が熱くなりました。
そして
私の中に小さな決心も
生まれたようにも思います。
お母様・妹さんは、本当に貴方の事を理解してくれていたのですね。^^
私も次男が辛くなった時
安心できる
そんな存在になってやれればと日々心がけていますが、もっともっと安心できる母であってやりたいです
Re:無題
コメントありがとうございます☆
足は昨日よりだいぶマシになりました^^
この文章で何かを感じていただけたのなら、そんな嬉しいことはないです。
少し調子が悪くなってまで、思い出してみたかいがありました^^;
私には母の思いとかは、正直よくわかりません。
ただ、先日ある出来事が起こった時、そばに母がいてくれただけで安心することができた、ということがありました。
なので私にとっては、「安心できる母」ではなく、「母という存在そのものが安心」なのかなとも思います。
個人的な考えなので、参考程度に聞いていただければ嬉しいです。
りえママさんのその思いは、必ずお子さんにも伝わりますよ(*^_^*)
無題
でも、今の生活になったから出会えた人や、出来た経験があるんですよね。
時々、過去のことがぶわーっと頭の中で暴れるけど☆笑
そんなときも、友達、家族がいてくれてる。
恵まれてるなぁ、と感じます。
Re:無題
コメントありがとうございます^^
そうだったんですか……
うん、私も本当に恵まれていると思います。
当然良い経験ばかりではないけど、だからこそ自分が今ここにいることのありがたさを実感できてると思います。
良い経験も、悪い経験も、出会えた人のことも、全部大事に抱えて、これからの人生を送れたらいいなと思います(*^_^*)